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小学校に行く!
ここ数年で、小学校に呼んでいただく機会が増えています。
幾つかのパターンがある中で、一番多いのが、特定非営利活動法人「芸術家と子どもたち」のASIAS(エイジアス:Artist’s Studio In A School)とPKT(パフォーマンス・キッズ・トーキョー)があります。詳しく知りたい方は、ぜひこちらをご覧になってください。【https://www.children-art.net】
学校に行くと(子どもたちはもちろん、先生たちも含めて)様々な人間に出会います。あたり前ですが人は大人になるにつれて、気の合う仲間や必然や必要を感じる人と行動を共にしていきます。しかし、学校は同じ地域に住んでいる人たちが、まるっとまとめられて生活するところで(例外はあります)、特に気の合う仲間や必然性も必要性もなく偶然のまま集合しています。
そこには小さくも巨大で複雑な社会が広がっています。
そのような場所にふらっと行き「はじめまして、こんにちは。」と話を始めるのは、なかなかの緊張感があり初回はいつもドキドキしています。例えば、よしっと思って自分のダンスを披露します。ダンス好きの子がすでに集まっているバレエ教室なんかでは、まずそんな反応はないのですが、小学校では、時に笑われ、馬鹿にされることもあります。(バレエ教室の子たちは、もしかしたらみんな気をつかって拍手してくれているのかもしれません。笑)
「ダンスなんかしたくない」というのはまだマシな方で、そもそも「言われたことを全てやりたくない」なんて、ひねくれロード真っ最中の子どももいます。
そんな時は、自分の小学校時代を思い出しつつやっています。
忘れっぽい僕ですが、なぜだか子どもの頃の「嫌な感触がした出来事」は記憶に残っていて、失敗したな。とか、言い訳したいけどうまく言葉に出来なかった。とか、自分は間違ってないのに。とか、結局うまく言語化できず表現されなかった想いは、身体の履歴となり残るのかなとか思います。苦い思い出。(これもまた言葉ですが)
自己肯定と自己否定。
これって、僕だけが思うことなんだろうか?皆にはわかってもらえないだろうか?ならば言っても無駄なんだろうか?しばらくダンマリしてみるか?など、ひねくれロードをまっしぐらに走っていた自分を思いだします。(もしかすると今もあまり変わってないかも。。。)
要するに、歯に物着せぬ、とても素直な反応が得られるということです。
今になって、こうして学校に行ってみて、ようやく見えてくるものがあります。先生たちはものすごく大変そうです。以前のような「先生は偉い」みたいな暗黙のルールは、もはや無く、国の教育方針や達成課題はちょこちょこと変わる中で、いろんな家庭環境を背にした子ども達と毎日取っ組みあいの格闘をしている様子がわかります。本当に頑張っています。でもどうしたって、管理しやすく「みんな一緒に!きちんと!揃えて!」の雰囲気が強くなりますよね。ただこれが、大人になる準備とか、社会に適合するための「正しい、正しくない」の判断基準になってしまうと怖いなと考えています。
みんな一緒に一つの「正解」を探す。それが気にくわない人は間違っている。
そんな風に割り切れるほど、社会も人間も単純じゃないと、大人になってしまえばわかります。しかし、人生経験の少ない子どもに「正解」を求めすぎてしまうと、それがわからなくて大人になってパンクしやすくなるのではないかと考えてしまいます。(パンクという表現が良いのかどうかわからないのですが)
一方、芸術の世界には正解がないと思っています。
というかすでに正解とされるものに対して疑問を投げかけるのが芸術なのではないかと考えます。「本当にそうなのだろうか?」という問い。
学校に行く時は、なるべく正解を持たずに行くように心がけています。
もちろん毎回やっていると、これはこうした方がうまくいくとか、この方が早いとかはありますが、毎回そこに集う子どもたちと向かい合って出てくる素直に反応を素直に受け取れるようにしています。僕が「問い」かけて、子どもたちが「応え」る。「答え」ではなくて「応え」。出てきた反応全てが「問い」に対する「応え」です。やりたくない、応えたくない、のも「応え」。すでにその人が表現されていることだと考えます。
こうした経験は、僕の活動の中でとても良い影響を与えてくれていると思っています。
今は芸術の場でも、正解を求めることが多くなっているように感じています。どうしたら認められるのか?どういうやり方が賢いのか?時代に乗り、時代を乗り越えるために?どれも素晴らしいことではありますが、受動的であると思います。
能動的な欲求から生まれてこその芸術。
子どもたちとの交流はそんな想いに僕をたちかえらせてくれます。
とにもかくにも。小学校に行くと社会を考えます。教育を考えます。結果、未来を考えます。未熟さと成熟について。どれもこれも僕のダンスの活動に大きな影響を与えてくれるものです。だからドキドキしようとも、笑われようとも、無視されようとも、呼ばれれば、芸術についてのワークをしに、毎度足を運びたいと思っています。
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