1)何歳からバレエを始めましたか?

3歳からです。


2)どのようなことがきっかけでバレエを始めましたか?

母がバレエやミュージカルなどが好きだった影響でバレエ教室に連れて行ってもらい、そこから自分も気に入ってバレエを始めました。


3)いつプロになろうと意識しましたか?

12歳くらいだったと思います。自分はプロのダンサーになるんだ!とは思いませんでしたが、なんとなくこれからもバレエを自分は続けていくのかなとか、海外のバレエ団に憧れを抱いたのはその頃だったと思います。


4)どうしてプロになろうと思いましたか?

舞台で踊る事は小さな頃から大好きでしたが、プロになろうと意識したきっかけは、12歳くらいに出た日本予選のユースアメリカグランプリに出場してプリコンペティティブ部門で1位をいただいた時だと思います。
海外からの審査員の方々が居て、ワークショップを受けて…そういう世界を知ったきっかけだったと思います。


5)それに対してどんな努力をし始めましたか?

海外のバレエ学校への留学をまず目標にしましたが、両親とは義務教育はちゃんと受けてからと決め、中学卒業時に留学するのを目標にしました。
両親の援助があったからこそできた事ですが、夏休みの間には海外の短期間のワークショップに行かせてもらって短い間ですがいろんな事を学びました。
その頃はフランスやオランダのバレエ学校を意識していました。
カンヌのバレエ学校やアメリカのキーロフ バレエのワークショップに行った覚えがあります。
そこで学んだ事を日本でも忘れずに自習をしたり、自分なりに基礎について考えてみたり…。
留学を手伝ってくれる方にも自分のレッスンビデオを送り、こういう基礎が抜けている、ワークショップに行った後はこういう所が良くなっていたのに、今は元に戻っているなどアドバイスをいただいて、手探り状態でしたが練習をしていました。

日本のコンクールにもよく出ていました。
2ヶ月に1回のペースでした。
午前中は学校に行って、夜はレッスンを受けて、コンクール用のバリエーションを練習し、その後ワークショップで学んだ事や基礎練習を自分でやったりしていました。
中学生後半くらいからは日本のコンクールなどに出続ける事に違和感と限界を感じていて早く留学したいと強く思っていました。

ただボリショイバレエアカデミーの入学許可をいただいたのも日本のバレエコンクールに出場した時でした。
今は亡くなられましたが薄井憲二先生にお話しをいただきロシアへの留学の道が開けました。


6)今現在プロダンサーとして海外で踊ることの出来ている最大の理由は何だと思いますか?

私の場合、身長は160cmと小さく、海外のバレエ団で働ける本来の基準には達していません。
ヨーロッパでは基本的に女性でも165から168センチ以上しか受け付けていなかったりがほとんどです。
実際バレエ団のオーディションを探す時に、履歴書などを送りましたが全くダメでした。コンクールで賞を取ったりする事と、バレエ団で働く事は全く別の問題なのです。
その事は今でも痛感します。

そんな中、私が海外で働ける最大の理由があるとしたらロシアメソッドを身につけていたと言う事だと思います。
ボリショイバレエアカデミーでしっかりメソッドを学び、試験を受け、卒業証書をもらった、これはとても重要な事だと思います。
加えてロシアの国際コンクールに出ていたおかげもあるかもしれません。
そのおかげで最初はウクライナのバレエ団、そして次にロシアのバレエ団で受け入れてもらえたと思います。
それにロシアは古典全幕バレエが主なので様々なダンサーが必要になります。
そしてロシアのダンサーは比較的に細身のダンサーを選ぶので私には合っていたのかと思います。
もし私がたとえばドイツやアメリカなどにアプローチしていたら恐らく一生バレエ団には入れなかったと思います。

それから私の場合はとても珍しいと思うのですが、ボリショイバレエ学校からのパートナーだった大川航矢くんと学校を卒業してからも同じバレエ団にペアで入り、今もペアでよく踊っていることです。
バレエ学校でレオノワ校長先生の助言でコンサートで一緒にパドドゥを踊る事になり、そこからバレエ団も一緒なのですがバレエ学校で組んでいた相手と卒業してからも組んで踊っているのは珍しいかもしれません。


7)今、子ども時代の自分に出会うとしたらどのようなアドバイスしますか?

もっと小さい頃にストレッチして、あまり練習しすぎずに背を伸ばす努力をしようねって言いたいです 笑


8)プロを目指している子どもたちへメッセージをお願いします。

今海外のバレエ団で働く日本人ダンサーがとても多くなりました。
私が海外のバレエ団に憧れていた頃はここまで多くは無かったと思います。
バレエダンサーには強い心と忍耐力が必要です。
日本で今頑張って練習している子達はその精神が備わっていると思います。
実際海外に来てみるとせっかく良い条件を持ち、良い環境に居るのに気づいていない現地のダンサーも多いです。
今の子供達はスタイルもとても良くなってきて、日本人は身体的にも精神的にもバレエダンサーに合っていると思います。
あと必要な事があるとしたら小さな頃から正しい基礎を学ぶ事です。
一度基礎からズレた所でやってしまうとその後の修正はとても困難になります。
コンクールに出る事が多いと表現力、審査員へのアピールの仕方など考える事が多くなると思いますが、自己流の間違った表現の仕方を覚えてしまうとその踊り方から抜けなくなってしまいます。
そういうものはもっと後から自然に学べば良いので、真っ白のままいてください。

バレエは身体の条件で悩む事も多いと思いますが、理想的な条件を言い出したらキリがありません。
プロのダンサーでも誰もが少なからず自分の欠点を抱えています。あまりそれに執着しすぎず、自分のプラスの部分を育てて大事にしてください。
きっと良い方向に向かうと思います。


9)子ども時代バレエ以外で何をやっていましたか?

他の習い事といえば声楽を習っていました。

けれどあまり性に合わなくて途中でやめてしまいました。
…バレエ以外の事で今役立っているのかもしれないと思う事は、小さい頃からバレエ漬けで学校もあまり行かず、それ以外のこともしたことないという方もいるのですが、私の場合はそういったことは無く、学校で一応勉強もしていましたし、読書や文を書くことなどはとても好きでした。
バレエの面でも想像力を働かせるのは大事なのでそういうのは役立っているのかなと思います。

あとは両親の影響で小さな頃からミュージカルやバレエなどの舞台もたくさん連れていってもらえましたし、父は絵を観るのが好きだったのでその頃はよくわかりませんでしたが美術館や展覧会によく連れて行ってもらっていました。
右脳を養うにはとても良かったのではと思います。
今でも絵画や芸術に触れるのはとても好きですし、気軽な気持ちで接する事ができます。
絵や楽器演奏のコンサートなど全然詳しくも理解している訳でも無いのですが、観た後になんとなく心が豊かになっているのが好きです。
バレエでも何でも芸術はそういう感じで良いと思っています。


10)日本と海外の違いで一番大きかったこと バレエに関してとバレエ以外でありましたらぜひお願いします。 

やはりバレエの浸透力の違いは大きいと思います。
ロシアはとくにバレエは国の威信をかけてるくらいですから、なおさらバレエダンサーの職業は地位の高いものだと思います。
公演はたくさんあって、朝はレッスンをしてリハーサルをして夜は公演で、家には寝に帰るだけという毎日です。

こうしてみると海外はバレエにおける環境は良いものです。
ただバレエを毎日踊って楽しいと思える場所とは違うかも知れません、そこに身を投じる事で自己研磨できる場所だという意味で良い環境だと言えます。
ここがとても大事で、海外でプロのダンサーになれば毎日踊って暮らせてきっと楽しくて幸せなんだ!と思う子供達はたくさん居ると思います。
もちろん踊って暮らしていける事に対してとても幸せだと思いますが、バレエダンサーは本当に過酷で大変な職業です。
常に強い心が必要ですし、海外でやるなら尚更です。
バレエダンサーにはアスリートのような労働が強いられます。
それに趣味だったら自分の好きな役を踊って楽しめるかもしれませんが、プロになるとどんな役でもどんな状況でも真剣に取り組まなくてはいけません。

バレエ以外での環境の違いといえば、ロシアですから山ほどあります 笑
ただ今はもう慣れて、ロシアも発展してきて住みやすくなったと感じます。
16歳でロシアに行った最初の頃は、モスクワの空港の入国審査でたくさんの人が並ばずにごった返しの状態で、審査も凄く時間が
かかって2時間半待ってようやく空港の外に出れたり、お店の店員さんも無愛想で向こうのお釣りが無いのが悪いのに逆に怒ってきて言い返せずに泣きそうになったり、サッカーの試合がある日や国の勝利記念日などはアジア人は殴られたりするとか、実際殴られたりした子も居たりして学校の外から出してもらえなかったりとか…笑 あとは寮のご飯が割と乏しく、合わないとか…笑
ただそういった生活面では割と楽しめる性格だったのは海外で挫折しなかった一つの理由だと思います。
外がマイナス20度の中友達とアイスを食べてみたり、スリとかぼったくりがよくある市場とかに行くのも結構わくわくして好きでした。
毎日寮のごはんのメニューを見ては友達と一喜一憂してみたり…。
その頃は朝ごはんにチーズが出てくるくらいで「やったー、チーズだ!」と喜べるくらいの順応振りでした 笑
ロシア3年目くらいには勝利記念日にわざわざパレードを観に行くぐらいにはなっていました。
学校時代でのそんな出来事は今となっては良い思い出です。

バレエ団に入ってからの生活面での違いも話し始めるとキリがありません。
けれど今では自炊もできるようになり、食生活の面で昔ほど日本の物が恋しくなることはなくなりました。
ただ一つ今でも嫌だなと思うのはロシアではお湯が出なくなる時があることです。
酷使した身体を癒すのに暖かいお湯が出ない時は未だにストレスです。
それ以外はいつもネタにして「ロシアだから」と笑いに変えています。もちろんその時はストレスだと思ったりしますが、そういった面でもロシアという国自体を愛してるなぁと思います。


11)プロとして踊っていて一番よかったと感じる時はどんなときですか? 

とても難しい質問で答えにとても悩みます。
一番良かった!と感じた事は無かったと思います。
恐らく日々のダンサーとしての生活にある程度の満足感は得ているのかもしれません。
本番前の緊張感、不安感を乗り越えた時、喜びに変わる瞬間とか、日々のレッスンや練習で溜まっていくしんどい部分が本番後に充実した感覚に変わった時が好きなのだと思います。
そしてその後の疲れきった身体を家に持ち帰ってまた明日の朝のレッスンに気持ちを向ける日々の生活に充実感を得ています。
ただ今までプロでやってて良かった!と手放しで喜んだ瞬間は無かったと思いますし、これからも無いような気がします。


12)語学についてどのようにいつから勉強しましたか?

ロシア語は留学が決まってから少しの期間でしたが、キリル文字、簡単な挨拶くらいは覚えましたが、実際行ってからじゃないと喋れるようにはならないと思います。


13)今は多くの子どもたちが海外への憧れを頂いていると思いますが、海外で踊ること、または留学することを進める理由、または進めない理由があればぜひお聞かせください。

海外で踊る事へ進める理由はやはりバレエダンサーとして生活出来ることです。
踊ってるだけでお給料がもらえて生活ができて、家族だって作れる、職業として成り立っているのは日本から見たら不思議かもしれません。
けれどバレエダンサーになるためには小さな頃から日々の練習を何年もかけなくてはいけないのです。
それも学ぶ事はたくさんで基礎を学んで、強い脚を作ってトウシューズを履いて、テクニックを1つずつ学んで、民族舞踊から、モダンダンス、パートナーと踊るパドドゥの仕方も、、一人前になるために本当にたくさんの努力をしなくてはいけません。
その今までかけた時間と労力を対価として払ってくれるのが海外のバレエ団です。
ただ海外でやるとなると、大変な事もあるし合う、合わないもでてくると思います。
私も夏に日本に帰るとその後またロシアに戻るのが億劫で、日本を離れたくなくなるのですが、それでもやはり今ロシアのバレエ団でやっていてここが本物のバレエだなと思えるので頑張れています。

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