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清水健太さん×神戸里奈さんの対談、前回は清水さんの子供時代のお話からローザンヌまでのお話をお伺いしました。

今回はその後留学時代の話から帰国、怪我をを経て入団されたマイアミシティバレエ時代のお話です!

 

神戸> 留学っていかがでしたか? 一年目とか?

清水> ストレスでしたね。やっぱり言葉ができなかったし。

  あとさっきの話じゃないけれど、ローザンヌを目指していて賞を取れちゃったっていう達成感を感じてしまっていて、、、少し見失っていたんですね。

  プロになるために受けたはずのコンクールが、いつの間にかローザンヌに出たかっただけのものに変わっちゃってた。本当にストレスで3ヶ月くらいで太りました。

  帰ってきて、先生に言われたのが、「何しに行ったの?」って。

  そう言われて確かにそうだなと思って。「自分で決めて言ったんでしょ」って言われて、「あ、確かにそうだった」って気付いて、そこで気持ち入れ替えてはみたけれど、通い始めてから
    3ヶ月経過してたいたので結構先生からの印象は悪くなってましたね(笑)。

神戸> 向こうの先生?

清水> はい。もう全然見てももらえなくなっていました。でもぼくにとっては良かったんだと思う。結構トントン拍子で来ていたバレエ人生だったし。あまり悩むような苦しみって味わったことがなかったから、あの挫折はよかったと今となっては思います。

神戸> 留学は何年されていたのですか?

清水> 1年だけです。

神戸> 16才から。

清水> 17才ですね。校長先生が2つ上のクラスに入れちゃったんです。

神戸> なるほど。それで1年の留学を終えてすぐに日本に帰ってこられたんですか? 

清水> はい、帰って来ました。

  帰って来て1月、2月くらいからオーディション巡りを考えていたんだけど、11月か12月に足を捻挫して靭帯を切ってしまって。

   オーディション巡りのプランを立てていたけどそんな短期間には全然治らないから計画を断念して、どうしようかなって考えていた時に受けた国際コンクールが、マイアミへの切符だった       んです。

神戸> そうだっだんですね。怪我をして、自分と向き合ってまたやり直していこうっていう意識が集中していた時だったんですね。

 

清水> 怪我をして大事なものに気づきましたね。うまくいってるときは自分のことが見えなくなっていて、できて当たり前の感覚になっちゃうんですよね。でも怪我をした時って、
   こんなこともできないのかって思うじゃないですか。
   で、自分のことをとてもよくみるようになる。それはぼくにとってすごい重要な時間だったって思います。それまではあまり自分の体のケアをするタイプじゃなかったんだけどね。

神戸> マイアミのバレエ団からはは直接オファーをもらったのですか? 

清水> その時はまだ、怪我も完治するかしないかくらいでセミファイナルまでしかいけなくて、あーやっぱりダメだったなって、ファイナルで賞を獲るくらいじゃないとオファーもらえないだろうなって思っていたんだけど、それでも諦めないで朝のレッスンを受けに行っていて、ぼくは覚えるのが早いから1グループ目の1列目でレッスンを受けていたんです。それを見ていたディレクターとミストレスから声をかけていただきました。

神戸> その話は貴重ですね!

  カンパニーは別に1位の子が欲しいわけじゃないとういことですもんね。

  クラスってそこにいるダンサー一人一人に対して要求されているものに応えられているかとか、変化に耐えられるかとか、自分の場所を確保できるかとか、色んなことが見えますよね。

   ちなみにその時はいくつでしたか?

清水> 18歳19歳になる手前でした。

神戸> その場の一声でお仕事が決まったわけですね。

清水> 周りの一緒に受けていた日本人、それこそ仕事を探していたり、いまいるカンパニーより大きいところ移りたいって言っていたメンバーみんなが羨ましがってましたね。

神戸> セミファイナルまでしかいってないのにって?

清水> マイアミみたいな大きなところから声かかったの?みたいな。

その時自分はマイアミシティバレエのことは全く知らなくて、みんながこんなに羨ましがるところからオファーが来たのかって、そんな感じに思っていました。断る理由は全くなかったですね。
ローザンヌが終わったあとアメリカに行きたかったからSABに行きたかったんだけど、ヤンレイソルが「あそこに行くとバランシンに染まるから健太はまだ若いし、もっと色んなことをできるようになった方が良いと思う」ってアドバイスをくれて、偶然オファーをくれていたロイヤルの校長の話をそのままいただいて、ロイヤルにいったんです。

だからその後もバランシンにはずっと興味がありました。そんな時にマイアミシティバレエのディレクターが、バランシンよくやるよ、って言ってくれたのでじゃあここに決めようと思いました。ほかにもアトランタバレエ とか3、4箇所オファーをもらっていたんですけどね。

神戸> それもクラスを見にきてくれていた時にオファーをもらっていたんですね。

清水> 結構アジア人にしては体格が良いからですかね。身長もそれなりにあって。

  ソロパートもできるし、組む方もできるしって、ちょうど良いぐらいのサイズだから、それもよかったのかなと思いますね。

神戸> 実際に行ってみてアメリカ、マイアミというところはどんな感じでした? 自分が思っていた感じでしたか?イギリスとの違いとか。

清水> マイアミはラテンの人が多いから結構ノリが良い感じでした。街中の人もテンションが高くてフレンドリーでしたね。和気あいあいという感じで。

神戸> 気候とかその場所の雰囲気ってとても大事ですよね。文化がそういう風に作られているわけですしね。

  バレエもその影響でお客さんも楽しい作品が好きだったりしましたか?

清水> 楽しい作品は楽しい作品でとても盛り上がるしもちろんチケットも売れるけど、ロミジュリとかジゼルとかしんみりしているバレエも大好きなんです。お客さんの反応がはっきりしていましたね。良いものは良い、好きなものは好き、と。

神戸> それはもう日本と海外の違いですね。どんなに有名な振付家であっても、演出家であってもダメなものはダメと、ニュースで酷評される。それが観客を育て、演出家を育て、ダンサーを育て、ってことになるんだと思います。

清水> ぼくがいまだにロスに行く理由はそこですね。

  日本だとある程度名前を知ってもらうようになったら、出来不出来に関係なく褒めてもらえちゃう。でも海外だと「お前ゲストだろ、お金かかってるんだからちゃんとやれよ」みたいな感じで評価される。

  ロスでは本当にダメなものはダメ、良いものは良いといってくれる。だからこそ自分をそういう環境に置いておかなければダメだなと思っています。

神戸> 今でもゲストで海外に行き続けているのは、そういう理由からなのですね。

清水> 向こうはアジア人をすごい冷ややかな目で見てきますからね。

    「なんで日本人がゲストで呼ばれているの」とか、なんで「日本人、手足短いキミが王子様やるの」みたいなそういう視線を肌で感じることもありますね。

神戸> 海外からよく呼ばれる作品はありますか?

清水> 最初はコンテのプログラムとかはあまり呼ばれなくて、クラシックメインだったんですが、最近はコンテも呼んでいただいています。

  でもジゼル、白鳥、眠り、ロミジュリは結構呼ばれることが多いです。

  オープニングナイトで評を書く人が来ていても、僕には結構良い評を書いてくれる人が多いので絶対ファーストキャストとかで呼ばれます。

神戸> すごいですね。もちろん現地のプリンシパルもいるんですよね?

  その中で選ばれるというのはすごいですね。

清水> メンバーの中で一番長いから気を使ってくれているのかもしれないけど。

神戸> もう向こうに拠点をおいてしまおうっていう風には思わなかったですか?

清水> 思わなかったですね。日本が好きだし、家族がこっちだからね。

 

 

今回はここまで!

日本と海外の違い、プロとしてバレエ団に必要とされるとはどういうことか。

今回も興味深いお話でした!

次回はこのシリーズの最終回、プロを目指す子供たちへ清水さんからのメッセージです!

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