C/Ompany『忘れろ/ボレロ』のNHKバレエの饗宴出演を記念しての特別企画をバレエTVにて行います。
バレエTV代表の中谷も所属していた東京バレエ団も出演。
そして東京バレエ団の代表的演目であるベジャール振付の『ボレロ』を差し置いての『忘れろ』 期待が高まらない訳はありません!
NHKさんの度胸と度量に感服な今年の饗宴。
日本中で大ブレイクの予感満載です!!
NHKバレエの饗宴公式サイト
https://www.nhk-p.co.jp/ballet/program.html
まだ『忘れろ』してない方も、もう既に『忘れろ』済な方も予習復習として一緒にその歴史を振り返ってみましょう。
まずはC/Ompany主宰の大植真太郎さんの歴史を紐解きながら『忘れろ/ボレロ』に至った経緯を追っていきす!
大植さんのことを知らない方、バレエのことを知らない方はあまり想像付かないかも知れませんが、どんでもないキャリアの持ち主である大植さん。
なぜバレエダンサーとして誰もが羨む環境にいながら、そこを離れ、今のスタイルになっていったのか。
今日に至る彼の人生を振り返りながら、今年NHKで上演される『忘れろ/ボレロ』への理解を一緒に深めていってみましょう。
バレエTV特別企画!大植真太郎さんと振り返る、大植真太郎史!!
【大植真太郎史第一弾】
大植真太郎さんといえばこちらの動画から!
ローザンヌ国際バレエコンクールでの舞。
18歳の大植氏。
では、当時の想い出について大植氏に聞いてみましょう!
大植氏:この映像はやはり自分の中で一つの分岐点だったと思います。
まあ、分岐点と書くと仰々しいかもしれませんが。
正直、あまり人に感謝しない僕ですが、これをローザンヌに出るにあたって選んでくれたジョン(振付家ジョン・ノイマイヤー)には感謝します。
というか、それって彼にとっては一番楽しい仕事の内なんだと今になって思います。
18歳でパンツ一枚、動きも振り付けあるんですけど、身体の動かし方が余りにあの音楽に合わせてるので、凄く、、、、なんというか、まあ、ゴリラが踊った、、、いや、野生的な動物があの音楽聴いたらこうだろう、みたいな、、、そんなものを与えられて、まあ、この作品の練習中に腰痛めて、泣いたら出てきた言葉が英語だったので(約4ヶ月ぐらいで染まってしまった自分に対して)その変化にまた更に泣いてしまっり、、、と、色々想い出します。
最後にやはり、映像に映るという事で、終わった後はステージ外で倒れなくてもよかったのに倒れている、これはドキュメントというかカメラがやはり近かったから身体が意識を瞬間にしたのだと思います。
まあ、コメントは後でついてきたので、私の勝手な演出は、さも全てを舞台上に出仕切ったという感じでしょうか。。。
ああ、どんな形であれ、裏と表が見える事が大事だとこの映像みて思い、その後作品を作り始めてからは、取り敢えず、基本的に舞台上でも呼吸はゼーハーやってます。
そういう意味でもやはりこの作品は分岐点だと思います。
今度のNHKもドキュメント的に表裏しっかりと基礎におき、そこから、「さて、どこに行こうかな?」
2月1日より
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大植さんに当時の想い出をお聞きしました。
そんなドラマがこの映像の前後にはあったんですね!
そして既に今の『談ス』に繋がっていると、確かな確証、確信、確認が出来ました。
引き続き、大植氏自身が身体で気付き、追い求めていた「ダンス」改め『談ス』への旅を一緒に探っていきましょう!
さてこのお坊ちゃまは誰でしょう?
はい、正解!
大植さんですね♪
↓今の大植さんが既ににじみ出ている貴重なお写真です↓
このお写真はかなり貴重なのではないでしょうか?
見たことのある方の人数がかなり少なそうです。
こんな貴重なお写真をお願いした瞬間から送ってくださった大植さんに心から感謝!
今更ながら簡単なアンケートと共にこの当時の想い出も語ってくださいました♪
以下、大植氏談
1)いつ、どんなきっかけでバレエをはじめましたか?
きっかけはうちの母が大人バレエを健康の為に始めようかと実家の近くにある教室へ。
たまたまその日は同じく車に乗っており、母と一緒に、が然し帰りには勧誘されてバレエの教室へ通う事に。
因みにこの日いなかった弟も申し込みして二人で始めました。
2)当時どんな子どもでしたか?
本当によくいる元気な男の子でした。
小学校は順風、何をやっても上手くいっておりましたが、中学校からバレエと学校やクラブ活動の間で揺れてました。
要するに至って普通のクラスにどこにでもいそうな子でした。
3)いつプロになろうと考えましたか?
高校受験はバレエを一時期やめて挑戦しましたが挫折。
近くの公立に。
その頃からプロのダンサー(日本において)ってどんなん?そしてそれがいつしかどうなん?そしてどうにもこうにも(日本のダンサーの皆さんごめんなさい)で取り敢えず、海外に高3の夏に。
4)留学した経緯を教えてください。
ローザンヌに出たことがきっかけでした。
最初のローザンヌは単に始めての海外だったし、旅行気分/修学旅行のようにはしゃいでました(想像してください)
コンクール終わって学校見学でオーディション受けて、宿舎があると言うことでハンブルクへ。
5)バレエ学校はどんな感じでしたか?
口を開けて踊らないように最新の注意、それからこれまた学生気分を宿舎で満喫、言葉は苦労しましたが海外からの同じように英語も出来ない子達もいたので無茶苦茶な英語で会話してました。
学校は朝から夕方、時々夜もありましたが満喫という二文字しか浮かびません。
ローザンヌにも二度目挑戦もありましたし、いや、楽しかったby小学生の日記
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今ですら体力を使い果たさないと気が済まないような大植さんの子供時代を想像するに末恐ろしい、いや既に末恐ろしくなっているのですが、まぁなんというか相変わらずな方なのでしょうね♪
そんなやんちゃな大植さんがちゃんとバレエをしていたということを考えてもバレエの懐の広さを感じます。
そう思うともう少し当時どんなことにこだわってバレエをしていたのか聞きたくなりました!
コンプレックスとかもあったのでしょうか?
THEバレエ男子・大植真太郎のお話も次回聞いてみたいと思いますので、どうぞお楽しみに!
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今さきほど大植さんより新しいお写真が届きました☆
今回はローザンヌ特集!
受賞後にバレエ専門誌で受けたインタビューの記事まで送ってくださいました♪
バレエ男子な姿が写るお宝写真まで!!
インタビューの内容はもう既に大植さんですね。
しかもマラーホフさんに惹かれていますという衝撃のタイトルまで。
貴重な資料を本当にありがとうございます!!
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今日はそんな本番間近のリハーサル現場へお邪魔して来ました!
やはり談スは生で見るもの!!
でもその空気を少し分かち合えたら幸いです。
男と男のぶつかり合い、語り合うダンスの物語をぜひお楽しみに!
今日のリハーサル映像も明日4月1日にメルマガ会員限定で先行公開しますので、そちらもどうぞお楽しみに♪
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4月2日公開リハーサルにて。
メジャーがメジャーに挑戦する。
イチローという世界的にもメジャーな人間がいつまでも野球そのものに挑戦し続けたように、ダンス界でメジャーな二人がダンスそのものに挑戦し続ける姿がそこにあるような舞台。
世界を代表するカンパニー、振付家、ダンサーと共に活動し続ける二人もまた世界を代表する振付家でありダンサーですが、この十数分間の中で繰り広げる様はまさに今この瞬間を現すコンテンポラリーに相応しいものだと思います。
嘘をつかないための綿密な打ち合わせが毎回行われますが、その場もまた彼らの脳みそがダンスする瞬間です。
どう落とし前つけるか。
ボレロという作品に立ちはだかる大きな壁を2人は壊すのか、乗り越えるのか、または諦め立ち去るのか、穴を掘るのか、それが最大の見所かも知れませんが、その日のその瞬間までのプロセスを楽しみながら待ち望みたいと思います。
日本を代表する放送局であるNHKの伝統あるNHKホールにて、身体ひとつ持ってメジャーがメジャーに挑戦する様をお見逃しなく!
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